千葉地方裁判所 平成11年(わ)882号 判決 2000年2月04日
主文
被告人を懲役三年に処する。
未決勾留日数中二一〇日を右刑に算入する。
理由
(犯行に至る経緯)
被告人は、高校卒業後に青森市内の歯科医院に歯科助手として勤務することが内定していたが、高校生の当時に交際していた男性の子を妊娠してしまったことが内定先に発覚して就職ができなくなり、一八歳になるのを待って右男性と結婚した。ところが、被告人は、夫の両親との折り合いが悪く、二年ほど経過した平成七年八月ころ離婚し、子供は当時の夫が引き取った。被告人は、平成八年一一月、アルバイト先で知り合った会社員の丁野三郎と結婚し、平成九年二月に長男を出産した。その後、被告人は、平成一〇年三月ころ、妊娠していることに気付いたが、三郎とはそのころほとんど性交渉がなかったことから、被告人の当時の浮気相手であった大学生の子を妊娠したものと考え、三郎にその旨を打ち明けた。しかし、三郎が自分の子として届け出ることを了承したため、被告人は、平成一一年一月二三日、次男二郎を出産し、千葉県佐倉市内のアパートで家族四人の生活を送ることになった。ところが、被告人は、仕事に多忙な夫との会話が十分に持てないまま育児と家事だけの生活に追われているうちに、夫からは家政婦としてしか見られていないのではないかと思い込んで寂寥感を抱くようになり、同年三月ころ、交際相手を募集しようと考えて携帯電話を購入し、その電子メールを通じて専門学校生の戊川次郎と知り合った。被告人は、戊川と何度か電子メールのやり取りをした末、戊川と待ち合わせの約束を交わし、同年四月二〇日ころ、長男及び二郎の世話を夫に頼んで戊川と居酒屋で会った。被告人は、戊川に好感を持ったことから、自分が独身の歯科助手で、二人の子供を持つ姉と同居しているなどとうその自己紹介をし、戊川とホテルに宿泊してその日のうちに肉体関係を持った。被告人は、その後も、戊川と連絡を取り合い、三郎の出張中などに、数回にわたり、アパートに長男と二郎を残したまま外泊し、戊川との不倫の関係を続けていた。被告人は、同年五月上旬ころ、三郎が同月一五日から二三日まで北海道に長期出張することを知り、同月一三日ころに戊川とホテルに宿泊した際、三郎が不在の同月一八日に戊川とデートをして戊川とホテルに泊まることを決めた。
(罪となるべき事実)
被告人は、千葉県佐倉市上志津<番地略>××ハイム二棟一〇五号室に居住し、次男二郎(平成一一年一月二三日生まれ)を養育していたものであるが、平成一一年五月一八日午後八時三〇分ころ、夫の丁野三郎が長期出張中のため二郎を保護すべき責任があるのに、いまだ寝返りをすることもできない二郎をバスタオル上にうつぶせに寝かせたまま同室に残して外出し、同月二〇日午前一一時ころ帰宅するまでの間、二郎への授乳等養育義務者として当然なすべき生存に必要な保護を何ら加えずに二郎を放置し、よって、同月一九日午後九時三〇分ころから同月二〇日午前一一時ころまでの間に、同所において、二郎を鼻口閉塞により窒息死させた。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法二一九条(二一八条)に該当するので、同法一〇条により同法二一八条所定の刑と同法二〇五条所定の刑とを比較し、重い傷害致死罪の刑により処断することとし、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二一〇日を右刑に算入することとし、訴訟費用は、刑事託訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(量刑の事情)
本件は、被告人が、母親として当然なすべき生存に必要な保護をしないで幼い次男を死亡させたという保護責任者遺棄致死の事案である。
被告人は、夫の長期出張中に浮気相手の男性と密会するために本件犯行に及んだものであるが、その動機はまことに身勝手かつ自己中心的であって、酌量の余地はない。犯行の態様についてみると、被告人は、被害者が自力では寝返りもできず、しかも四時間おきに授乳が必要であることを十分に認識していながら、電子メールを通じて知り合った浮気相手と外泊を重ねて情を通じ、およそ三八時間余りの長時間にわたり、被害者をうつぶせに寝かせたまま生存に必要な授乳等の保護を加えることなく室内に放置したものであって、本件は、その行為自体に照らしてみても、生命に対する危険性の極めて高い犯行である。そして、本件は、親の養育義務の自覚を全く欠いた無責任で悪質な犯行でもある。被害者が生後わずか四か月足らずで、母親からの保護も受けられずにその短い生涯を閉じたことは、まことに悲惨であって、本件犯行の結果は重大である。被害者には、当然のことながらこのような仕打ちを受けなければならないいわれは全くなく、本来最も愛情を注いで養育してもらえるはずの母親に裏切られ、力も尽きて絶命した被害者のいたいけな死相には、哀れみの情を禁じ得ない。被告人は、被害者の遺体を発見した後においても、取り乱して事後措置に窮した末とはいえ、およそ三日間にわたって遺体をそのまま放置し、うち二日間は浮気相手と外泊するなどしている。この点は、腐敗し始めた遺体とともに施錠された自宅に放置された幼い長男にとっても、まことにむごい仕打ちであったというほかはなく、犯行後の情状という観点からみても軽視し得ないものがある。被告人の右のような心無い行状からは、人の親としての自覚に欠けた幼稚で無責任かつ身勝手な性格も看取される。本件は、母親が夫の長期出張中に乳児を長時間放置して死なせた悲惨な事件であって、これが社会に与えた影響には大きいものがある。以上によると、本件の犯情は悪く、被告人の刑事責任をゆるがせにすることはできない。
しかしながら、他方、被告人にとって酌むことのできる事情も認められる。被告人は、被害者の遺体を発見した際、被害者の蘇生を試みているほか、自責の念に駆られて自殺を図っている。被告人は、現在では、苦しみながら死んでいったであろう被害者の心境に思いを致し、本件犯行の重大性、自己の行為の無責任さを悟り、後ればせながら我が子に対する母親の愛情がいかに大切なものであるかということを自覚しつつあるようにうかがわれる。被告人には前科前歴がない。被告人の夫が情状証人として出廷し、家庭生活において被告人と話し合う姿勢に反省すべき点があったことを自認するとともに、被告人を責めるつもりはない旨供述している。被告人には、現在満二歳の養育すべき幼子がいる。これらの諸点は、被告人のために酌むことのできる事情である。
そこで、以上の諸事情を総合して考慮し、主文のとおり量刑した。
よって、主文のとおり判決する。
(求刑 懲役四年)
(裁判長裁判官・田中康郎、裁判官・荒川英明、裁判官・有賀貞博)